ありがとうのありがとうがありがとう
「ありがとう」とかそれ同種の言葉ってすごくないですか?
我が家では相手に何かをしてもらた時にお礼を言うことを忘れないようにしています。これは「必ずお礼を言いましょう!」と家庭のルールとして定めたわけではなく、気がついたらそうなっていた、という方が正しいです。
家庭上に義務を置かない
これは子供がいないからこそ言えることでもあると思うのですが、私自身はそもそも「主婦だから料理をしなければいけない」「夫だから家計を支えないといけない」「どちらかが毎週掃除をしなければいけない」「どちらかが家事をしている時にもう一方が家事をしないのはNG」という考えを持っていません。
私は基本的に料理をしますが、ストレス発散であるし、常日頃の食事にお金を使いたくないし、という考えがあるからです。掃除も整理整頓も、部屋が汚いのが個人的に好きじゃないからするんだし、夫が家計の軸になっているのも、夫が選んだ仕事と自分が選んだ仕事の条件的にそうなっているだけだと思っています。夫がどう思っているかはわからないですが。
体調が悪かったり仕事が立て込んでいたら夕飯は作らないし、いろいろと作業していたりで書類や道具が散らばっている時もあります。正直それに罪悪感を抱くことはあまりありません。
夫もそこに文句は言わないし、自分が気になった時に掃除機をかけていますし、休日に自分の方が早く起きたら洗濯してくれていることもあります。
また、相手のためを思って何かをしたとしても、「してあげた」という言い方もしません。
モチベーションを上げること
もちろん根底に願望はあります。暇ならあれをしてほしい、こういう時はここをしてほしい。その願望を叶える手段として、”モチベーションを上げること”が鍵なのではないか。そう思い始めた時に、小さい頃の記憶が蘇ってきました。
小学生の時、共働きの両親より先に帰宅する私は、遊ぶ予定のない時は家で過ごしていました。
その日は帰宅路で雨が降りそうな気配があり、家に着いた際、洗濯物を取り込んでおいた方が良さそうと思いました(母親からそういう状況で「取り込んでおいて!」という電話がよくかかってくるので)。ただその日は母がお昼休みに帰宅した際、洗濯物はすでに乾いていたようで、たたむものを置いておく部屋に「めっちゃ急いでたんで、とりあえず置いておきました!」みたいな顔で服やタオルが放置されていました。
なんの気無しにそれらの洗濯物を畳んでおいたのですが、帰宅した母親がそのことに気づき、大興奮で「畳んで置いてくれたの!?すごい!ありがとう!」という言葉をくれました。完璧主義の母からしたら納得できない完成度だったと思うのですが。
当時はこの程度のことでこんなに喜んでくれるものかと驚きましたし、畳む作業は楽しかったので、早く帰れた時はたたむようになりましたし、母親が畳んだ綺麗さに近づけるように研究するようになりました。その度に母は喜んでくれて、感謝の言葉をくれた記憶があります。
今思えばこれが循環となり、母は家事を手伝ってほしいという願望を、「ありがとう」で私のモチベーションを上げることによって叶えていたのだと思います。
アピールと成就
夫はいつも夕飯後に食器を洗ってくれます。もちろん洗いが不十分で気になる時もありますが、まずはやってくれたので毎回「片付けありがとう」と言います。たまに忘れるけど。夫も私がしたことに対し、「ありがとう」や「すげえじゃん…!」的な言葉をくれます。間違っても「当たり前やんけボケカス」という言葉は投げません。
また、実際には自分的に「てめーのためにやったったわオラ」ということも、「こうしてみたんだけどどうかね?」と言葉を変えて言うようにしています。すると、「助かります!」と返ってくるので、モチベーションが上がり、次につながります。
これは我が家の人員がそういう性格だからというのも大いにあると思いますし、ありがとうと言っているからだけが諸々に作用しているわけではもちろん無いと思います。だけど、ありがとうマジックにより起こる自分の心の動きは、その偉大さを称えなければいけないレベルだと思いました。
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